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11月 文京区

イチョウ   銀杏・公孫樹      イチョウ科


小学校の裏庭に何本かのイチョウの木があった。

毎年秋になると大量の実をつけ、
一帯は例の匂いで充満していたものだ。

3年の冬、はげ頭の担任は命じた。
「落ちてるイチョウの実を拾って来なさい」。

我々は防毒マスク代わりにハンカチを顔に巻き、
昼休み中かかって作業を行った。
収穫はバケツ数杯分になった。
担任は満足気に頷き、
それらをみな袋に詰めると持って帰ってしまった。

赤ら顔で癇癪持ちの教師は酒好きだった。

要するに彼は自分のつまみであるギンナンの原料を、
教え子たちに集めさせたのである。
おのれハゲめが。

イチョウの木にはカラスウリやイイギリ同様、
雌株と雄株がある。
小さい頃、
葉の真ん中に深いスリットがひとつあるのがオスで、
切れ込みが複数あるのがメスの木だと
教えられたことがある。

「男の子だからズボンの形をしてるんだよ」
誰だか覚えてないが、そう言われた。
真偽の程はわからない。
女子だってズボンくらい穿くだろうから、
当てにはなるまい。

しかし、少年時代の私は
この美しい巨木をあまり好まなかった。
イチョウの木には昆虫があまり寄り付かないのである。
近年、その葉に各種の薬効成分が確認されているので
そのためかもしれない。

植物より昆虫を愛する男子としては、
「こんなしょもない木よりも、虫の大好きな
クヌギやコナラをたくさん植えればいいのに」と
真剣に不満を感じていたものである。
完全に街路樹の役割をまちがえている。


日本では普通に植えられているイチョウだが、
世界的には決してポピュラーな樹木ではない。

マツやソテツと同じ裸子植物である本種の起源は
2億数千年前にさかのぼる。
太古の昔に大いに栄えたかれらの仲間は、
中生代末までに
その殆どが恐竜たちと運命を共にしてしまった。

現生種は中国浙江省に自生が確認されている。
本邦のイチョウも移入されたものだという。

本種の属名Ginkgo
日本名である銀杏(ギンキョウ)に由来する。
別字の公孫樹は漢名で、
発芽から結実までの期間が長いことを意味するらしい。
祖父母が種を蒔くと、
実が拾えるのは孫の代になるのだった。


大きく育ったイチョウの木には、
枝の付け根に鍾乳石のようなこぶが垂れ下がっている。
気根と呼ばれるこのオプションは
切ると乳白色の樹液を出すことがあり、
古来乳房になぞらえられてきた。

貧しくて満足に栄養が取れなかった母親たちは
母乳が出ることを願い、
豊満な乳房を宿したイチョウの巨木を神として崇めた。

注連縄のかけられた太い幹は、
数多の哀しい祈りの声をその裡に秘めているのだ。


秋のイチョウの紅葉が好きになったのは、
ずいぶん長じて後のことである。
落葉樹の多くは最後には茶色くなって散ってゆくが、
イチョウの葉は鮮やかな黄色のまま枝を離れ
地面に降り積もってゆく。
黄金色の落ち葉を踏みしめて歩く秋の散策は愉しい。

掃除は大変なのだけれど。


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9月 文京区
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11月 文京区

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