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3月 国分寺市

カタクリ  片栗    ユリ科

スプリングエフェメラルという美しい言葉がある。

Springは春、Ephemeraはカゲロウを意味する。
春先にあらわれてその花を開き、
梅雨の声を聞く前に姿を消してしまう植物をさして、
このように呼ぶ。

その代表格と目されるのがカタクリの花だ。

すらりと伸びた細い茎に
もの思わしげにうなだれて咲く薄紫色の花は、
あくまで楚々としてたおやかである。

カタクリという単語が耳に親しいのは、
やはり片栗粉の存在が大きい。
その名の通り本来カタクリの根から獲ったでんぷんを差す。

しかし現在市販されているものは、
よく知られているようにすべてジャガイモ製である。

カタクリの根茎は小さい。
一株から獲れるでんぷんなんてほんの一握りだ。

万葉集に詠まれた頃には
片栗粉の原料たり得たほど栄えていたカタクリも、
今や自生地が例外なく保護される
珍しい野草になってしまった。


花期は短く、
3月のせいぜい1、2週間程度しか咲いていない。
このため開花の頃になると
群生地にはカメラマンがわんさと押し寄せて
結構な騒ぎになる。
そのために乱獲を免れていると言えなくもない。

しかし確かに花は短いが、それまでが長い。
カタクリがちゃんと花を咲かせるまでには
実に8年という期間を要するのだった。

カタクリの1〜7歳児も毎年春先になると芽は出すのだが、
葉っぱを一枚だけ生やして枯れてしまうのである。

地上部分は枯れても根は残っており、
しんぼう強く成長し続けている。
8年目にしてようやく地上葉を2枚出し、
茎を伸ばして花を咲かせることができる。
なかなか根気強い春の妖精なのだ。


このようなカタクリが減ってしまったのは、
単純に環境破壊も原因ではある。
が、もうひとつまったく逆の理由が推測されている。

保護という形で放置された原生林には、
カタクリはあまり生えないのである。

ある程度人の手が入り、下草が刈られたり
低木が伐採されたりしているくらいの状態が、
いちばん生育に適しているらしい。

これは落葉を掃除しない松林には
マツタケが育たないのと似ている。

適度な人間生活と共存することによって、
彼らは栄えてきたのである。
都市化と森林保護の二極化で
人間と自然が切り離されていった時、
カタクリは自然とその棲家を狭めてしまったのだ。

里山の風景を保存するのは、
自然を自然のまま残すよりも遥かに難しいのである。


カタクリの咲く場所は林の中だ。
新緑の季節が来れば木々の葉が生い茂り、
地面をすっかり暗い日陰にしてしまう。
日光が届くのは晩秋から早春にかけての
短い期間だけである。

だからこそカタクリは、
この時期を狙って大急ぎで葉を出し花を咲かせる。
ようやく暖かさの増してきた陽射しを
精一杯浴びるために。

そして梢に葉が伸び始める前に姿を消し、
ふたたび長い眠りにつく。

次の目覚めは来年の3月だ。
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3月 国分寺市


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3月 国分寺市

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