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9月 東京都あきるの市

カブトムシ(1)      Allomyrina dichotoma
分布:本州〜沖縄

街の子供だった。

父の仕事の関係で
成人するまでに4、5回転居を繰り返しているが、
宿舎はいずれも街中にあった。
京都・大阪・東京・神戸。
大した都会もんである。生まれたのは宮崎なのに。

小学生時代を過ごした国分寺では、
それでも通学路の途中に雑木林があった。
ランドセル背負って元気よく寄り道したものである。

私達は聾学校に隣接したその小さな林を
五軒家と呼んでいた。
別に五軒の家があるわけではなく、由来はわからない。

五軒家ではさまざまなクワガタが採れた。
クワガタ以外にもカマドウマやゴキブリも出たが、
これらは採集対象ではない。

ただ、カブトムシだけはさっぱり見かけなかった。
採る側もはなから「いるわきゃない」と決めてかかっている。稀に出くわした場合は、
必ず誰かんちの水槽から逐電した
脱走兵ということにされていた。

街の子供にとって、
カブトムシはその辺の林で採れる虫ではない。
ノコギリクワガタ同様、
店で売ってるものなのである。

なかんずくカブトは安かった。
安い上になぜか八百屋で売っていた。
時折母が野菜と一緒に買ってきたくらいである。
誤解のないように言っておくが食材としてではない。

商品として流通しているカブトムシは、
当然ながら養殖ものだ。
今はどうか知らないが、
当時は養殖ものといえば弱っちいと相場が決まっていた。
店で買ってきたカブトは
いいとこ1ヶ月でお亡くなりになってしまうのが常だった。
おそらく飼い方の問題もあったのだろう。

1970年代には昆虫ゼリーは市販されておらず、
子供らはよっぽど凝り性でない限りは
スイカの皮だのリンゴの芯だので彼らを養っていた。
カブト・クワガタは確かにスイカの皮が好きではある。
しかし私だって赤福が好きだ。
好きだからって毎食赤福だったら長生きはすまい。

思えば手軽に買って
手軽に死なせてしまっていたものだ。

といって一山いくらの商品相手では、
子供心に生命のはかなさを考えたりする筈もない。
壊れた玩具はまた買えばいいのだから。

養殖カブトムシは毎年
街の子供達によって大量に消費されていたのである。

だがしかし、
いくら商品としてのカブトが株を下げたところで
野生のそれに対する憧憬の念に関係はない。

夏休み明けに級友の家を訪ね、
郷里で採ったというカブトムシを見せてもらったことがある。
深いトゲの生えた太い脚は見るからに力強く、
胸部と頭部は兜の名にふさわしい重厚感を放っていた。

それは八百屋の店先の水槽で
なかば土に埋もれて動かない連中とは、
まったく違う生きものだった。

売り物のカブトしか見たことがなかった頃、
彼らが樹液の縄張り争いで最上位を占めるという話が
どうも信じられなかった。
だが、こいつなら大丈夫だ。
強力な角を振り立て、
ミヤマの1匹や2匹軽く投げ飛ばしてしまうに違いない。
私は納得し、級友をうらやましく思った。

その日から四半世紀が過ぎた。

先般、例によってぶらりと赴いた雑木林で
樹液に集まるカブトムシたちに出会った。

ハナムグリやヒカゲチョウを傍らに侍らせ、
どっしりと腰を据えて食事をする背中は
午後の陽射しを浴びて鈍く赤い光を放っている。
それはまさしく王者の風格であった。

私はその場に立ち尽くし、
しばらく呆けたようにその姿に見とれていた。

以下、(2)に続く。

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9月 東京都あきるの市

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