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3月 東京都あきるの市

マツモムシ   Notonecta triguttata
分布:日本全土

背泳ぎはいまいち得意でない。

水泳部あがりがそんなこと言ってちゃいかんのだが、
前が見えないのがイヤなのである。
なにしろ進行方向を見ずに直進しているわけで、
これは交通安全上はなはだ好ましからざる事態だ。

25mはだいたい身体が覚えているとはいえ、
タイムトライアルやリレーでは
ゴール手前で振り向いて確認する余裕はない。
泳者はしばしば水面から上げた掻き手を、
思いっきり壁に叩きつけてしまうのである。あたたたた。

そもそも普通の生き物は、
仰向けで生活するようには出来ていない。

ビュルガー「ほらふき男爵の冒険」に、
腹と背中に4本づつ足の生えたウサギの話が出てくる。
逃走中に疲れるとひっくり返って仰向けになり、
背中側の足で続きを走るわけだ。
きわめて合理的なリバーシブル動物だが、
普通に考えて妖怪変化である。
犬にせよ猫にせよ
腹を見せるのは特殊な場合であり、服従の証だ。

ところがやはり世界は広い。
昆虫界には四六時中仰向けで暮らす傑物が存在する。
しかも水中でだ。
背泳ぎしっぱなしである。


雨の翌日、休耕田の水たまりに
一匹の小さな虫が腹を見せて浮いていた。
マツモムシである。

この2センチに満たない水生昆虫は、
ひっくり返った姿勢で長い後ろ足を伸ばし、
水面直下にへばりついている。
水上のアメンボを天地逆にしたような塩梅だ。
そしてそのまま足をオール代りに漕ぎ進んでゆく。

とにかく小さいので気づきにくいが、
よくよく見ると結構な奇観である。
流れのない水中(つーか水面)を、
あお向けの虫がついー、ついーと移動するさまは
春の陽気と相俟ってなにやら呑気な風情だ。

しかしなりは小さくとも、
マツモムシはタイコウチやタガメの眷属。
水中に落ちた虫やオタマジャクシを嗅ぎつけると、
たちまち寄って来て
鋭いくちばしを突き立てる吸血鬼である。

春風駘蕩とした雰囲気とは裏腹に
マツモムシは気が荒い。
うっかり素手で捕えようものならプスリとやられるので
注意が必要である。


冒頭に述べたように決して得意ではない背泳ぎだが、
嫌いかといえばそうでもない。
空を見ながら泳げるからである。

コースが空いていて誰かに追突する危険がない場合、
私はよくのんびりと仰向けに浮いている。

照り付ける真夏の太陽を仰ぎながら、
冷たい水に身体を浸している気分は悪くない。


休耕田のマツモムシも
とりあえずは急ぎの用事はないようで、
なんとなく流されるようにぼんやりと浮いていた。

彼らはもうすぐ繁殖の季節なのだ。


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matsumomushi0326_3.jpg (12257 バイト) 3月 東京都あきるの市

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