太鼓打ちの名は前脚の動きをユーモラスに評したものだが、
その乱れ打ちは獲物を捕えて離さぬ死の舞踏なのだった。
街の子供たちにとって、
水生昆虫は憧憬の対象のひとつである。
身近に彼らの棲めるような環境がないのだ。
仮に生息していたとしても、
護岸工事を施された河川では触れ合うこともままならない。
私が最初にタイコウチに会ったのは、
実にデパートの昆虫売場だった。
先日武蔵野を流れる野川の岸辺を歩いていて、
何かの拍子にふと水底の景色に目を止めた。
底泥にひとつ奇妙な落ち葉が沈んでいたのだ。
冒頭に記した水サソリの名は、
お尻についた長い剣に由来するものと思われる。
しかしサソリの尻尾は毒液の注射器だが、
タイコウチのそれは武器ではない。
かつて忍者は水遁の術を用いる際、
細い竹の節を抜いたものを利用した。
水中に潜り、竹の先だけをシュノーケルよろしく
水面に出して呼吸するのである。
そしてタイコウチの剣尾もまた呼吸管なのだった。
その落ち葉からは、
3センチ程の細い柄のようなものが生えていた。
柄の先は水面に達していた。
私はやおら手近な枯れ枝を拾うと、
この水中の忍者と格闘を始めたのである。
タイコウチ君は陸上のカマキリ同様、引くことを知らない。
蛮勇を奮って釣竿に挑みかかった。
数分の後、吸血鬼は陸上に引き上げられた。
近くの流れで軽く泥を洗い流し、
モデルになって頂いた次第である。
撮影後、深みに去っていった悠揚迫らぬ足どりは、
さながら解放された敗軍の将といった趣きであった。
まだ野生のタイコウチに会える。
東京の川も捨てたもんじゃない。 |