M-ROKKOR 28mm/2.8 ZUMMICRON-M 50mm/2 TELE ELMARIT-M 90mm/2.8 レンズを探る
レンズの味はこれを語るなかれ

よいカメラを手にすると、よい写真が撮れるような気がするのは人情である。
ところがギッチョン。
被写体をフィルム面に焼き付けるのは、レンズであってカメラではない。
写真を撮るという行為に関しては、
あくまで「よいレンズあってのよいカメラ」なのだ。

それでは一体全体「レンズのよさ」とは何ぞや。
CAPA誌で長年レンズ評を担当しているカメラマン・西平英生氏は
次のように述べている。
「普通に撮る分には、最近のレンズはどれでもちゃんと写る」
そうなのだ。
撮る側がちゃんと撮ってやれば、ちゃんと写るのである。
安価な暗いズームレンズでも、三脚に固定して数段絞り込み、
きっちりとレリーズしてやれば、キレイな画像が得られるものだ。

要は使う側に
「レンズをちゃんと使う上で必要な最小限度の知識」が
あるかどうかの問題なのであって。



300mm望遠ズームを、フードも付けずに平気で手持ちで撮って
「やっぱり安物のレンズはダメだね」などと言う御仁は、
即刻カメラ一式を売り払って頂きたい。
持っているだけムダというものだ。

・・・にも拘らず、一眼レフを手にすると
人は交換レンズに凝りはじめる。
この「レンズ欲しい病」の症状は、おおよそ三期に分別できる。

第1期:望遠欲しい症候群
第2期:キレイに写るのが欲しい症候群
第3期:レンズの味を語り出す症候群

第1期は無理もない。特に200mmを超える望遠レンズというのは
肉眼を超えた世界である。
また、望遠と近接撮影は一眼レフの誇る大きなアドバンテージだ。
嬉しいことに巷には安価な300mm望遠ズームというものが存在している。
最近はなんと400mmをカバーするものまで現れ始めた。
ついつい手を出したくなる気持ちも分からないではない。

が、私自身の結論から言ってしまえば、
シロートに200mmを超える望遠レンズなど全く必要がない。
と言うか、そんなに手軽に扱えるシロモノではないのである。
超望遠レンズというヤツは。
使い道としても、スポーツ関連であるとか
野鳥の撮影(これは500〜600mmが必要となる)であるとか、
非常に限定された、なおかつ熟練した技術を要する状況でしか
使う機会のないものである。

かく言う自分も200mmを超えるレンズは持ち合わせていない。
野球場などでの撮影では、200mmに2Xテレコンをつけ、
なおかつ一脚に固定して使っている。

第1期の、さまざまな焦点距離によって変わる
画角の面白さに対する熱がややさめて来ると、
今度は写真自体の「写り」を気にしはじめる。
これが第2期だ。
細かいことを言い出すと、レンズには性能を示す様々な要素があり、
それらのクオリティの高いものを求めるようになるのだ。
曰く歪曲収差、曰く非点収差、曰くMTF曲線。
興味のない人にはどこの国の言葉やらさっぱり分からないだろうが、
自動車のスペックを語る言葉と一緒だと思えばいい。

たまの休日にドライブしたり、
近所のスーパーに買い物に行く程度にしか使わないクルマが
ホンダだろうがフェラーリだろうが大差はない筈だ。
しかし人は細かいスペックにこだわり、性能をうんぬんする。
あれと同じである。
では実際に高スペックのレンズは、安価なレンズと写りが違うのか?

これは「違う」と断言しておく。
でなければ私自身がアイデンティティーを失うからである。とほほ。

が、やがて人はカタログスペックの高さを追求するのにも倦みはじめる。
そうなるといよいよ末期症状、第3期だ。
とうの昔に生産中止になったマイナーなレンズを引っ張り出してきて、
「味がある」などとのたまい始めるのである。
こうなると完全に自己満足の世界になる。
カタログスペックのようにはっきりとは、
他人にそれを説明できないからである。

しかるに、ちゃんと他人に説明できないことを口にするのは
やめて欲しいと思うこの頃ではある。
大体自分でも本当に理解しているかどうかすら怪しいのに。

たかが光学機器のことで、趣味人ぶったり通人ぶったりするのは
とても恥ずかしいことのように思えるので。
・・・これは自戒の念も込めて。